01 | Hoerl, J. | 285.3 | ||
02 | Paschke, P. | 277.8 | ||
03 | Tschofenig, D. | 273.8 | ||
04 | Kraft, S. | 273.1 | ||
05 | Deschwanden, G. | 259.7 | ||
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国際スキー連盟(FIS)レースディレクターのヴァルター・ホーファーは、過去約30年に渡ってスキージャンプ界に誰よりも多くの足跡を残してきた。
ヴァルター・ホーファー無しにスキージャンプは考えられないほどだ。だが、決断はくだされてしまった。
2020年3月23日は、2020年プラニツァ(スロベニア)スキーフライング世界選手権の最終日で、2019/20年スキージャンプ冬季の最終日となるはずだが、ヴァルター・ホーファーにとってはFISレースディレクターとしての最後の日となりそうだ。
2019/20シーズンの冬が終わる時、スキージャンプの一つの時代が幕を下ろすことになる。「ヴァルター・ホーファーの時代」の終焉だ。
本来メジャースポーツとは言い難いスキージャンプが、これほどまでに人気を得たのには、ヴァルター・ホーファーの功績によるところがが大きい。
ホーファーが、十年以上にわたって戦略的にスキージャンプの方向づけをしてきて、常に斬新な発想を取り入れてきたおかげで、スキージャンプをテレビの大きな見どころとしての地位にまで導いた。
ホーファーは早めに辞意を表明することで、スキージャンプ界にとって最適な後任を選ぶための充分な時間を与えてくれた。
FISレースディレクターのホーファーにインタビューをお願いした。
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ホーファーさん、2019/20冬季を最後にFISレースディレクターを辞任するという決断はご自分の意向ですか。それとも年齢制限や他の理由からですか?
ホーファー:全くもって自分自身で決めたことで、その時点で私が通常の退職年齢に達するということが理由です。
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FISレースディレクターに就任した初日のことを覚えていますか?
ホーファー:はい、覚えています。その時までの10年間、スキージャンプ界でスタッフやコーチとして従事していました。ですから、スキージャンプを一つの視点からしか知りませんでした。その時はスキージャンプというものを、遠目に、責任をそれ程負わずに眺めていることができました。当時、コーチも審判の役目も果たさなくてはだったけれど、感心は全く違うところにありました。何より自国の選手の利点になることが大事でした。その後FISのこの役職につかせてもらった時、宿題が山積していました。当時はまだルールも統計も手でやっていました。でもそのおかげで、まさに一字一句ルールと向き合うことができました。これは競技以前のこととして、ものすごく大事な学習プロセスとなりました。決断を迫られる立場の者には不確実な事項がイライラの種でした。全ての関係者が、詳しい情報を得る権利があります。この「宿題」をクリアして、やっと少しずつスキージャンプを特定の方向へ向けていく段階でした。ここでは敢えて「良い方向へ」とは言いません。この評価についても各自にお任せしようと思います。しかし、FISの委員と他の協力者のおかげで次のステップに進む土台を組むことができました。マーケティングの改善と、それによる商品としての改善という方向です。でもそれについて話すと長くなってしまいますね…
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ホーファーさん、FISレースディレクターとして28年。あと2年でこの章を締めくくるとなって、どういうお気持ちですか?「まだまだやることがいっぱいあるから残念だ」と思いますか、それとも「もう充分やりつくした」という感じですか?
ホーファー:その質問は私には適切じゃないですね。私がどう思うかが問題じゃないからです。これまでに、個人的な決断の時期を誤った人に沢山会ってきました。ここで自分勝手な希望的観測はやめておきます。これが自然の経過をもとにした私個人の経歴であって、それ以上でも以下でもありません。
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あなたはスキージャンプを大きく動かし、色々な変化をもたらしてきましたが、どの点を特に誇らしく思いますか?
ホーファー:私が動かしたり変えてきたのではなくて、スキージャンプのサブシステムが全ての意思決定者と共に変わってきたのです。FISの会議がその点で大きな役割を担っていて、最初の頃そこで学んだのは、ある種のことは急進的にではなくて、順を追って少しずつ変えていくべきだということです。その後にも思い切った提案を役員会にサポートしてもらいました。
何と言っても、スキージャンプは素晴らしい選手を擁した、小さくても優れたスポーツの種目です。それが誇りであり、そしてスキージャンプをより安全にすることが叶ったのが誇れることです。
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あなたは夢想家であり、行動の人と言われています。新しく取り入れられたことは沢山ありますが、中でもウィンドファクターとゲートファクターのルールが目覚ましい変化でした。
なぜこのルールが重要で、もしこのルールが無かったら今のスキージャンプはどうなっていたと思いますか?
ホーファー:このルールが重要なのかどうかは私には分かりません。このルールのせいで眠れない日が沢山ありました。でも今は全ての批評に感謝しています。なぜならそれによって、もろくて観客にも分かりにくいルールから、スキージャンプをより安全でフェアなシステムに作り上げていくことができたと私は思っているからです。マテリアルについてのルール変更も同じぐらい大事でしたし、フォーマットやデータサービスについてもそうです。そう言えば、中止になった試合の代替戦がクオピオ(フィンランド)で行なわれた時に、試合結果を全てのニュースメディアにFAXで送らなくてはならなかったということもありました。FAXがメディアへの唯一の窓口だったんです。ちなみにこの時の主催者代表がミカ・コヨンコフスキーでした。現在彼は伝説的なコーチであり、FISスキージャンプの最高幹部となっています。
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現職についてから今までで、特に良い思い出はなんですか?
ホーファー:自分が関係したオリンピックは、これ以上ないというぐらい難しい条件の中でも予定通り行うことができたので、全てとても良い思い出です。特別なハイライトと言えるのは、1998年の長野五輪の団体戦です。天気がものすごく荒れて、最後は金メダルを団体戦で果たし大雪の中で原田雅彦が立つ感涙のシーンで終わりました。当時の五輪でこの映像は、ヘルマン・マイヤー(オーストリアのアルペンスキー選手)の衝撃的な大転倒にならぶワンシーンでしょう。
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思い出したくない思い出はありますか?
ホーファー:経験とは自分がおかした失敗の積み重ねです!自分でも随分たくさんの経験をしてきたと思います。
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あなたは一度、「スキージャンプは冬のF1だ」というのはフェアじゃないと言っていましたが、なぜですか?
ホーファー:それは安直だからです。スポーツによってはそのままで確固たる地位をもっているものもあります。例えばサッカーチームが連続で0対0の試合をしたとします。すると批判されるのはそのチームかコーチ、もしくは戦略です。でも誰もサッカー自体に問題があるとは思わないでしょう。それに対してメジャースポーツでない種目もあります。もしスキージャンプで1・2試合キャンセルが出たとしましょう。するともうすぐこのスポーツ自体が疑問視されてしまいます。「これはスキージャンプにとって良くない」となります。F1は巨大な産業の一部です。スキージャンプでは試合用のマテリアルはどれ一つを取っても見ても大量生産のものはありません。だからスキージャンプとF1は比較できないと言っているのです。
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ヴァルター・ホーファーとスキージャンプはいつも一緒でしっくりきていました。ホーファーの時代が終わった後、スキージャンプはどうなっていくでしょう。だれが後任に就くのでしょうか?もう誰か候補はいますか?
ホーファー:そう願っているところです!良い候補者は充分います。要件は変化していてそれに適応していくべきで、システムはダイナミックなままであるべきです。そうあるべきだと思います。
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あと二冬だけと決めた今、レースディレクター後のプライベートがどうなるか、既に考えていますか?そうなると、急に自由な時間が沢山できますよね。
ホーファー:私達は全エネルギーをこれから始まるウィンターシーズンに捧げています。それにゼーフェルト(オーストリア)で行なわれる世界選手権の準備もあります。今はちょうど、2022年北京オリンピックのための建築をチェックしにいった中国から帰ってきた所です。今は退職後のことを考えている余裕はありません。
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違うポジションだとしても、スキージャンプ界には残りそうですか?例えばアドバイザーとしてとかはどうでしょうか?
ホーファー:今の時点では分かりません。色々な分野から声はかかっています。スキージャンプ以外からもです。でもまだ今は考えていません。
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あなたは素晴らしい戦略家と言われていますが、もしオファーがあれば政治の世界に入ることも考慮にいれていますか?
ホーファー:もし私がこの質問に「はい」と答えるとしたら、「素晴らしい戦略家」とは言えないでしょう!でもその方向への意欲は持っていません。スポーツが私の人生を決めてきたんです!自分でやるか支える側になるかはわからないけど、どういう形にせよスポーツには関わっていくと思います。だから、「各自本業を守るべし」ですね!