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世界選手権LH団体戦でポーランドが初優勝

作成: 04.03.2017 19:15 / sk
1
Polen
1104.2
2
Norwegen
1078.5
3
Österreich
1068.9

フィンランドのラハティで開催されているノルディックスキー世界選手権で、スキージャンプ最後の種目となる男子ラージヒル団体戦が3月4日(土)に行なわれ、ポーランドがこの種目で1982以来史上初の金メダルを獲得した。ラージヒル個人戦で銅メダルを獲ったピオトル・ジーラ(130.5m/123m)、ダヴィド・クバツキー(129m/119.5m)、マチェイ・コット(130.5m/121.5m)、そしてワールドカップ総合首位のカミル・シュトッホ(130.5m/124.5m)の4人で臨んだポーランドチームは合計1,104.2ポイントをマークした。

前回の世界選手権で同種目の王者となったノルウェーは、ポーランドに25.7点差で銀メダルとなった。ノルウェーは、アンダース・ファンネメル(131m/112.5m)、ヨハン=アンドレ・フォアファング(126.5m/138m)、ダニエル=アンドレ・タンデ(126m/126m)、アンダース・スティエルネン(127.5m/125m)の4人が参戦した。


かなりギリギリで銅メダルを手にしたオーストリアチームは、ミヒャエル・ハイボック(130m/118.5m)、マヌエル・フェットナー(126.5m/121m)、グレゴア・シュリレンツァウアー(124m/113.5m)、そして個人戦でダブル世界チャンピオンとなったシュテファン・クラフト(134m/126m)が試合に臨んだ。

 

最終ジャンパーのアンドレアス・ヴェリンガー(独)が飛ぶまではドイツが3位につけていたが、8本目のジャンプで、オーストリアがドイツからメダルを奪い取った形になった。


ラージヒルでの競技は、個人戦でもそうだったが、今回の団体戦でもかなりの高レベルで行なわれた。その中で観客は、ポーランドチームの突出した強さだけでなく、天候条件の違いで全然違う2ラウンドを目の当たりにすることになった。1回目はほとんど風も吹かなかったが、上位8チームが進んだ2回目では、ラハティ特有のコロコロ変わる追い風と向かい風、それに突風に見舞われた。

Michael Hayböck, Manuel Fettner, Gregor Schlierenzauer, Stefan Kraft

 


ファイナルで多数の入れ替わり

ポーランドは1回目で既に2位のオーストリアに17.4点差、3位のドイツに18.8点差、4位のノルウェーに27.6点の差をつけていた。ファイナルラウンドでは、金メダル2冠のシュテファン・クラフト以外は、天候条件の運・不運に大きく左右されてしまい、2位から4位はグループごとに順位が入れ替わった。

Kamil Stoch, Maciej Kot, Dawid Kubacki, Piotr Zyla

 


ジーラからシュトッホまで安定していたポーランド

1月28日のヴィリンゲン大会ラージヒル団体戦でオーストリアとドイツを抑えて優勝した時と同じ選抜で順番を変えて臨んだポーランドチームだけは、下手なジャンプが一本も無かった。しかも第2グループの最後に飛んだダヴィド・クバツキーは、強風のため2回もスタートバーから降りなくてはならなかったのにも関わらず、だ。
クバツキーは試合後に、「難しかった。どんな条件に当たるか分からなかったし、凍えてもいた」と話した。その分、最終的に金メダルを獲得した喜びは大きく、「すごく嬉しい。今日は大変だったけれど、僕達が強いチームであることを示すことができた」と嬉しさを伝えた。

Andreas Stjernen, Daniel Andre Tande, Johann Andre Forfang, Anders Fannemel

 

ポーランドチームにとって、ヘッドコーチのシュテファン・ホルンガッハーが第1グループのピオトル・ジーラの時に、ルールを活用してゲートを一つ下げさせた事が、小さいながら利点となったのは確実だ。これで、アンダース・ファンネメル(ノルウェー、131m)、マルクス・アイゼンビッヒラー(独、130.5m)の後に、ジーラが130.5mのジャンプを決めて、このグループで2番目に距離を伸ばしただけでなく、4.9点のゲートポイントも獲得することになり、ポーランドチームを首位につけることに成功した。その後ポーランドは、各グループで点差を広げたり維持したりと安定していた。ファイナルラウンドで、唯一ポーランドだけは失敗のジャンプを見せなかった。

 

2015年のファールン大会(スウェーデン)と2013年ヴァル・ディ・フィエンメ大会(伊)の2回連続で銅メダルを獲っていたポーランドは、今回史上初の世界選手権ラージヒル団体戦の金メダル獲得を遂げた。冬季五輪の団体戦では金メダルはまた獲っていない。
個人戦ではメダルを逃したカミル・シュトッホだが、今回は最終ジャンパーとして臨み、「僕達にとって本当に素晴らしい瞬間となった」と話した。

 

 

フォアファングがヒルレコード

前回2015年の世界選手権でこのタイトルを獲ったノルウェーからは、当時の選抜の中で唯一残っているアンダース・ファンネメルが1番手として飛んだが、ファイナルラウンドは、かなり不運のスタートとなった。ファンネメルは112.5m地点で着地となり、ポイントをかなり失ってしまったが、それでも4位の座は守ることができた。その次に飛んだヨハン=アンドレ・フォアファングは、2006年にアンドレアス・ヴィンドホルツル(オーストリア)が立てたヒルレコードを2.5mも上回る138mの大ジャンプを決めて、新記録で穴埋めをした。これでアレックス・シュトックル率いるノルウェーチームはメダル争奪戦に戻ってきた。ダニエル=アンドレ・タンデとアンダース・スティエルネンが手堅い成績でこの座を守った。

 

スティエルネンは、「信じられない展開だった。最初は僕達はがっちり付いて行っていて、一回離脱して、その後フォアファングが新ヒルレコードのジャンプを飛んだ」と銀メダル獲得を決めた後に説明した。アンダース・スティエルネンの父、ホロアル・スティエルネンも1987年オーバーストドルフ大会で団体戦の銀を同じく獲っている。
ノルウェーにとって、世界選手権で団体戦が採用されて以来5個目の銀メダル獲得となった。

 


不運のライエ

フォアファングが大ジャンプを決めた反面、シュテファン・ライエは103.5mと伸びずドイツは4位に順位を落とし、オーストリアはマヌエル・フェットナーの好ジャンプで2位に順位を上げた。


第3グループに入るとまたこの順位は入れ替わった。歴代最多勝利記録保持者で昨年の欠場からカムバックを果たしたグレゴア・シュリレンツァウアーが、113.5mと伸びなかったからだ。これで、最終グループを残すだけとなった時点でオーストリアは突然4位になった。

個人戦で1位と2位を巡る一騎打ちをしたシュテファン・クラフトとアンドレアス・ヴェリンガーが、今度は銅メダルをかけての決戦をすることになった。クラフトが126mのジャンプを決めた反面、ヴェリンガーが119.5mと伸びず、ヘッドコーチのヴェルナー・シュスターが率いるドイツチームは4位に終わった。

ヴェルナー・シュレーターは、「メダルが獲得できるレベルにはいた。(8本中)6本のジャンプは良かったが、残念ながら2本は失敗だった」と少しがっかりした様子で話した。

 


ほとんど感涙のシュリレンツァウアー

オーストリアチームと、世界選手権6大会連続でこの種目のメダル(うち金4個)を常に獲得しているグレゴア・シュリレンツァウアーは、喜びもひとしおで、今回の銅メダルを決めて目をうるませた。
シュリレンツァウアーは、「すごく感動している。この世界選手権に参加することができただけでも嬉しかった。周りの関係者とメンバーに感謝している」と話した。

 

このラハティ大会で4つのメダルを獲得したザルツブルク州出身のシュテファン・クラフトは、荒れたファイナルラウンドを終えてとにかくホッとしたようだ。「僕達がやり遂げることができてとにかく素晴らしかった。2回目のジャンプでは僕はツイていた。ここで4つもメダルを穫ることになるなんて、夢にも思わなかった。最後にチームの皆と一緒に銅メダルを獲ることができて良い締めくくりとなった」と話した。

 

スロベニアチームは安定さに欠け、最終的に5位だった。フィンランドはラージヒル個人戦では4人の選手のうち3人がファイナルラウンド進出を果たしたが、団体戦でもなかなかの健闘で上々の6位という結果だった。
日本とチェコが同点で7位だった。
2回目に進める8チームに、明らかに差を付けられたのは、ロシア(9位)やスイス(10位)だった。スイスチームは、今回もオリンピック金メダル4冠のシモン・アマン一人しか順当な結果を出せなかった。

 

全リザルト

 

※注)大会日程は現地時間です。